代表の人生&想い

私が足圧を始めてから現在に至るまで様々な出会いがありました。
特に、私の人生観を変えた政財界の著名人による、人生で成功するだろうヒントを頂いたきっかけが現在の私でもあります。
その半生を綴った内容を記載してます。
お時間あればお付き合い下さい。

2000年に発足した足圧ボディケアアカデミー。
私には師匠がおらず、独立前の年数を含めると、足圧を始めて今年で25年目になります。今年で48歳になります。
ここまでくるのにあっという間の出来事ですが、ここまでたどり着くには数々の学びがありました。
その学びを実体験を元に話していきたいと思います。

甲子園では私のミスでサヨナラ逆転負け

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その前に簡単な自己紹介をさせてくださいませ。
私は昭和42年4月8日神奈川県鎌倉市で産まれました。

父親の影響で始めた野球。プロ野球選手を夢見る少年時代。
高校では甲子園にどうしても行きたくて近隣の山梨県にある東海大甲府高校に入学しました。

東海大甲府高校野球部は数多くのプロ野球選手を輩出しております。

そんな東海大甲府高校野球部は毎日のように先輩のシメ、監督からしょっちゅうぶっ飛ばされあまりのきつさに脱走を何度か試みるが失敗。
そんな辛い思いをしたせいか、高校3年生の最後の夏に甲子園大会に出場する事が出来ました。

同年代の甲子園出場チームにはPL学園の桑田、清原、東北高校にはマリナーズにいた大魔神佐々木、東洋大姫路にはマリナーズの長谷川がいました。
こんな世代、私のチームには2学年下に阪神タイガース守備走塁コーチの久慈選手がいました。

甲子園大会では何とか勝ち進み準決勝までたどり着きました。
しかし準決勝の相手、宇部商業戦では6対2で勝っていましたが、最終回私のミスで6対7のサヨナラ逆転負け。
勝っていれば決勝で桑田、清原率いるPL 学園だっただけに非常に苦い思いでで
未だに悪夢を見たりします(苦笑)。

肩の怪我からの挫折

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真面目にプロ野球選手を目指していた私ですが、甲子園大会でまさかのサヨナラ負けの演出をしてしまった私。

山梨県初の決勝進出はならず,
甲子園大会ベスト4という結果で終わりました。
余りにも悔いの残る試合ですが、私の中でやり終えた感が悔しさよりも勝っていました。と、同時に
『肩の痛みを我慢したまま、痛みをごまかしながらの高校生活にピリオドも打てる。』

といった気持ちもあり、甲子園大会をきっかけにピタリと野球を諦めた私。
両親はあっけない私の今後の野球断念にやや納得もいかない雰囲気もありました。

私も小学生からの目標がプロ野球選手だったので、いきなり目標がなくなった感じもありました。
そんな気持ちのまま、

『体育の教員になりたいなぁ。』

という漠然的な気持ちで、東海大学に進学しました。
キッパリと野球を諦めながらも、

『同僚や中学時代の同級生も何で谷さん野球やらないの?』

と言われたりもしました。

ビーチフラッグ世界大会4位に

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大学時代は東海大学体育学部入学。
そんな中、大学の授業の中でライフセービングの、授業がありました。

このライフセービングとは、言うならば海難救助の仕事。
学外講師のライフセービングの講師の先生の、強烈な『かっこいい』というインパクトに惹かれ、ライフセービング活動に没頭した私。

学校の体育の教員という夢と、ライフセービングという人命救助が私の大学時代の目標に切り替わった瞬間でした。
ライフセービングでは人命救助がもちろん第一ですが、ライフセービングの競技にも惹かれた私。

ここでは救命救急法、水難救助法を学びました。
ライフセービングは8種目程の競技になっており、特にビーチフラッグという種目が我が種目と思えるほど熱中しました。
おかげさまでビーチフラッグ全日本&大学選手権2連覇!

大学3年生時には日本代表に選ばれ、オーストラリアで行われた世界選手権大会では、ビーチフラッグで4位という実績をあげさせていただきました。

高級寝具のおまけ!?足圧との出会い

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大学時代を終え、サラリーマンを一年間経験しました。
私が23歳の時、ここで運命の出会い『足圧』に出会ったのです。

この時の足圧は高級寝具を販売する為の足圧。
目的はあくまでも物販。

なので足圧は物を売るための道具にすぎませんでした。
このスタイルに違和感があった私。
物を売るための技術ではもったいない、と思っていました。

こんな時、物販の会社が足圧だけのお店『健身健康法教育学院』を立ち上げました。
率先してこのお店『健身健康法教育学院』のスタッフになったのが、私の足圧人生の始まりです。

この時の私の年齢は26歳。
この時の足圧とは、とてもとても人様からお金をもらえる技術ではなく、お粗末な足圧でした。
足圧には師匠たるものがいなく、物販の会社からは皆さんで技術開発するようにとの指示。
正に全くのゼロからのスタート。
当時男性スタッフが私だけの、3人のスタッフで試行錯誤しながら、足圧を行いました。

ある方との出会いですべてが変わる

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基本、基礎などなく、マニュアルもない。それはそれは苦労しました。
今でも鮮明に覚えてますが、肩こりで来られたお客様。

当時下半身の技術までしかない足圧に納得がいかず、首かしげて腕を振りながら帰られるお客様の後ろ姿は、今でも鮮明に覚えております。

悔しいがどうしてよいか分からない。
ぎっくり腰?座骨神経痛?ヘルニア?脊柱管狭窄症?すべり症?四十肩?ムチ打ち?膝関節症?
今でこそ簡単に対応出来ますが、当時どうしていいかわかりません。

それでも独学に独学を重ね足圧の技術を進歩させていきました。
私が27歳くらいだったでしょうか?そんな頃、ある方に出会いました。

ある方とは?

電通、博報堂に次ぐ大手広告会社、当時業界3位である東急エージェンシーの前野徹社長との出会いです。
この前野徹社長が私の人生を180度変えてくれました。

まがいなりにも一通り出来るようになった足圧。
前野社長は足圧をたいそう気に入って頂き、前野社長は私に前野社長の人脈である政財界の人物をこれでもか?
というほど引き合わせてくれました。

前野社長は若かりし頃、東急不動産、東急電鉄、東急ハンズ、東急ホテル、いわゆる東急グループの総裁『後藤昇会長』の政治担当秘書をしており、その人脈たるは凄まじい人脈でした。

前野社長は私に合わせてくれた財界の著名な方は

『東京ガスの安西社長』
『ドトールコーヒーの鳥羽会長』
『モスバーガーの桜田会長』
『ライフの清水社長』
『 永谷園の永谷会長』
『ハウス食品の大塚社長』
『マクドナルドの藤田田会長』
『伊藤忠商事の丹羽会長』

有名人では、

『野村サチヨ』
『山本リンダ』
『黒木瞳』
『マヒナスターズの和田弘』
『草笛光子』
『ピアニスト 羽田健太郎』
『フレンチの鉄人 堺シェフ』

政界では、

『羽田孜』
『橋本龍太郎』
『小渕恵三』
『中曽根康弘』
『中尾栄一』
『綿貫民輔』
『深谷隆司』

等、名前を挙げたらきりがありません。

前野社長の人脈はどんだけすごいのだろう。
と思いながらも当時 足圧師のお兄ちゃんでしかなかった私は、これら名だたる政財界の方々に恐縮しながらも、足圧を行っていました。

当時足圧師のお兄ちゃん扱いの私ですが、馴れ馴れしいのが項をそうしたのか、これら政財界の方々から親しくさせて頂いた気がします。

私がこのような世の成功者からなる方々から、足圧を行っている最中に、数々の武勇伝を聞かせていただきました。

アメリカの鉄鋼王、アンドリューカーネギーに取材しているうちに、20年間で500人の成功者の取材をしてくれないか?と言われたナポレオンヒル。
見事依頼された内容を本にしてナポレオンヒル自体が成功者になった『思考は現実化する』と言った成功哲学の本が大好きだった私。
足圧しながらも成功者の生の話に興奮をしていたのを覚えています。正に活きた成功哲学の話です。

そんな中、思い出深く、人生で成功するだろうキーワードとなるお言葉を頂いたのが、

『永谷園の永谷会長』
『ドトールコーヒーの鳥羽会長』
『モスバーガーの桜田会長』
『当時通産大臣だった中尾栄一先生』
のお話です。

永谷会長 チャンスは必ずやってくる!

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永谷園の永谷会長は特に親しくして頂き、足圧後食事に誘われたり、スパに誘われたりと今思えば信じられない出来事。

そんな食事中での会話で永谷会長が、永谷園誕生秘話をしてくれました。

永谷園は当時京都宇治の売れないお茶屋さんだったそうです。
ある時人気俳優、人気女優のテレビドラマで、この2人が夫婦ゲンカした後必ずお茶ずけを食べて仲直りするシーンがあり、お茶漬けを食べて毎回仲直りするドラマの内容だったそうです。

この時永谷会長のお父さんが、お茶漬けの元を開発したそうです!

永谷会長曰く、

『家族、兄弟みんなでお茶屋というお茶屋を営業して、それがものすごい大ヒットしてね。それが永谷園の前進なんだよ。
親父は見事テレビ番組をチャンスととらえ活かしたよ。谷川くん、チャンスは必ずやってくる。チャンスが来たら動きなさい。それまではとにかく技術向上だよ。足圧は将来面白い展開になるぞ。とにかく今は新たな技術を開発しなさい』

と言ったアドバイスを頂いた。

鳥羽会長 目標は大きければ大きいほどいい

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ドトールコーヒーの鳥羽会長は、当時港区にあったドトールコーヒー本社の社長室で、足圧を行っていました。

鳥羽会長は10代後半でブラジルに渡り、コーヒーの輸出の丁稚奉公をしていたそうです。
ブラジルに住んでいた時の下宿先が、ブラジルサンパウロのドトールという地名で、現在の『ドトールコーヒー』の由来は下宿先の地名からなっているそうです。

その時のコーヒー豆の輸出入のノウハウを活かし、日本に帰って明日は潰れてもいい。という気持ちで『一杯160円のコーヒー』をスタート。
それは多いに大ヒットし、結果クルーザーも家も手に入れたそうですが、簡単に手に入れてしまうと身体を壊したそうです。

その時鳥羽会長は、手の届きにくい目標設定をすることにしたそうです。
当時(20年程前)ドトールコーヒーは山の手線界隈に120店舗近く店舗展開。

鳥羽会長は私に、

『10年後に1255店舗出店する、ワンツーゴゴー作戦で頑張っているんだよ』

と、天に向かってニコニコしながら私に語ってくれた話は、思い出すだけで未だに鳥肌が立ちます。
その時鳥羽会長は私に、

『谷川くん、目標設定は大事だぞ、目標設定は大きければ大きいほど良い、体力使うけどね』

と言っていた鳥羽会長は、見事に現在エクセルシオールカフェなども入れると1362店舗を出店されている。

桜田会長 新技術を常に求めなさい

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モスバーガーの桜田会長はオールバックの白髪で、べっ甲のメガネ、モスバーガーの可愛いプラスティックの時計が不釣り合いで何ともオシャレに見えました。

そんな桜田会長、

『常に新しい技術を開発しなさい。モスバーガーは常に新商品を出しているから生き残れているんだよ。谷川くん、技術に終点はないよ。新技術を常に求めなさい』

新技術を追求するようにと、永谷会長・桜田会長は、しきりにアドバイスしてくれました。

未だにモスバーガーで食事をしたり、永谷園の新商品のCMを見ると2人の会長さんを思い出します。

有難いお言葉です。

中尾元通産大臣 イバラの道を選べ

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そして当時通産大臣だった中尾栄一先生は私に、

『谷川くん、人生の中で二者択一の分岐点に立った時、辛い方を選びなさい。自らイバラの道を選ぶのが男であり、成功の秘訣なんだよ、そんな時が必ずやってくるからね』

何ともありがたい言葉だろうか?
これらの有難い言葉を常に抱きながら、数年間足圧マッサージを続けていました。
この時私は、27歳くらいから30歳くらいだったと思います。

政財界の方々には足圧の評判は一様にして良く、非常に人気であり感動さえして頂きました。

そんな中、私の中でこの技術を全国に広げて行きたい。
政財界の成功事例の武勇伝を元に何とか足圧で事業をお起こし、それを活かしてみたい。
という願望が日に日に目覚めてきました。
しかし、一介のマッサージのお兄ちゃんである私はどうすれば良いか分からない。
どこから手をつけていけば良いのだろうか?

中曽根元総理 足圧は本物だ

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『風雪魔人』

そんなモヤモヤしている時、当時通産大臣の中尾栄一先生から『中曽根康弘元総理大臣』をご紹介して頂いた。
中曽根康弘元総理は、今までの政財界の方々とは違い、とてもとても近づき難いオーラをお持ちでした。

正直、足圧も気に入って頂いているのかよくわかりませんでした。
毎週木曜日になると、永田町にある『中曽根康弘事務所』に呼ばれては足圧を2時間行い、それを4年間行ってました。

きっと足圧は嫌いではないのだろう。
そんな気持ちで毎週『中曽根康弘事務所』に通わさせて頂きました。
そんな時、遂に私の人生の転機がやってきました。

中曽根先生は国会が夏休みになるとなると毎回軽井沢の別荘にこもります。
そんな中曽根先生の軽井沢別荘での出来事です。
いつも馴染みのSPさんから、

『谷川くん、今日足圧マッサージが終わったら先生と食事をして下さい』

…マジか?凄い緊張する。
しかし願っても無いことだ。

中曽根先生に足圧が終わると、別荘のコテージで中曽根先生と、中曽根先生の奥様とでお食事。
緊張して食事が喉に通りませんが、その時のすき焼きめちゃくちゃ美味かったです。笑

『谷川君、現在の橋本内閣をどう思いますか?』

と当時、橋本龍太郎先生が内閣総理大臣だった時なので、このような質問をされたり、答えに窮した私もいます。
緊張のあまり、未だに何を言ったのか覚えていません。

そんな食事中の後半、中曽根先生が私に、

『谷川くん、谷川くんは一日に何人の人に足圧が出来ますか?』

と訪ねられた。


『8人くらいでしょうか?』

中曽根
『そうですか、すると一日に8人の人の身体が楽になるのですね』

『谷川くんと全く同じ技術者が10人いれば1日に80人の人の身体が楽になるのだね』

『谷川くんと全く同じ技術者が100人いれば一日に800人の人の身体が楽になるのだね』

『谷川くん、谷川くんと同じ技術者がいれば一ヶ月いや、一年で何十万人の人の身体が楽になるのか?
足圧は本物だよ、足圧を世に普及するのも夢があって面白いぞ、国民医療費を少しでも抑えるくらいの気持ちで頑張ってごらん』

と言って頂き、この時、中曽根先生から『風雪魔人』という書を頂きました。

それが画像の物です。

『風雪魔人』と言う意味は、

『風雪は人を 磨く。風雪にさらされるような環境は人を逞しく磨き上げる。』

と言う意味です。
私はこの時全身に電流が走り、感動で鳥肌が立ち、涙目になりました。
この時、私はこの足圧を生涯普及し技術を広げてこう、と決意しました。

成功者からのアドバイスを行動に

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私の自伝

永谷園の永谷会長の、チャンスが来たら動く!

ドトールコーヒーの鳥羽会長の目標設定の大切さ!

モスバーガーの桜田会長の新技術の開発!

中尾栄一先生の二者択一の人生の分岐点に立ったなら、男なら進んでイバラの道を選びなさい!

という言葉が一瞬で頭に入って来ました。

そして間髪入れず私は1999年に独立を決意、マッサージのお兄ちゃんだった頃に培った人脈をフル回転させ動きに動きました。

その時、近藤竜太郎という作家の先生に私の自伝を東京新聞社から出版して頂き、書いてもらったりしました。

今でも活用してますが、その時の本が画像の物です。

この自伝を元に、全国行脚の旅が始まりました。

2000年独立を決意しアカデミー事業スタート

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当時、一社員で歩合を含め手取り40万以上貰っていました。
このままでも悪い給料ではありません。
給料を断ち切りイバラの道を選んで、プレッシャーに押しつぶされそうになりました。

厚生年金が終わり、当然ですが失業保険ももらわず、来月子供が産まれる。
一マッサージのお兄ちゃんが、大海に投げ出された気分です。
給料も保証されず、自ら大海に投げ出た私は、全速力で泳ぐ他ありません。

足圧の教材、願書、認定書、足圧保険、プログラム作成、全てが手探りです。
教材に関しては100ページあるイラストのワンカットが4000円。
今の市場ではあり得ない金額。
でもそれが高いのか安いのか分かりません。
動かないと不安に押しつぶされるので、身銭を切って動きに動きました。

私の足圧がどれだけ世の中に認知されるのだろうか?
毎日が崖っぷちにたたされた精神です。
そんな気持ちで2000年がスタートしました。

カッコ良く言えば、大海を駆け巡る海賊のよう。
カッコ悪く言えば、死に物狂いでもがく若造。

今思えばそんな感じでしょうか?

中曽根先生の『足圧は本物』のお言葉を信じ、死に物狂いで動きました。

約600人の卒業生徒さんに感謝

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人間追い込まれたら強いもんで、動き回ったせいか私の独自の授業スタイルとして、生徒さんを学校に呼ばず、自ら生徒さんの御宅に伺いスクールを行う。

ここには隠された、生徒さんの成功する秘訣があるという、ノウハウも確立されました。
この授業スタイルを貫いた結果、現在528名の卒業生徒さんが、北は北海道から南は奄美大島まで活躍してくれています。

中曽根先生の『足圧は本物』という言霊を全力で受け止め、政財界の成功者の方々からの助言を勝手に活かし、現在も国内で足圧の普及に励んでおります。

マッサージのお兄ちゃんだった私を変えてくれたのは政財界の方々の助言だと思っております。
今は、私の力よりも卒業生徒さんが地域で頑張ってくれて、卒業生徒さんの賜物でアカデミーは持続されています。

現に当アカデミーはホームページはありますが、卒業生徒さんのご紹介の9割で生徒さんが増えております。

マッサージのお兄ちゃんが中曽根先生のお言葉をチャンスととらえ、常に新技術をあみだし、イバラの道を進み、店舗展開。
20年ほど前の政財界の皆様の助言を、現在も進行中です。

私が死んでも、名は残さなくても技術は残るのは、何とも嬉しい限りです。

日本に足圧を普及させる想い

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足圧とはあまり馴染みのない言葉ですが、読んで字の如く私の足を使って、相手の全身をほぐしていく療法です。
私は少人数生の授業にこだわりを持ち、現在約600名程のお弟子さんが日本全国で頑張ってくれています。

そんな谷川流足圧、足を使って相手の全身を押さえていきます。
ただ、谷川流足圧の第一印象は『痛い、重い、恐い』といった印象を持たれがち。

ですが、私の目指している足圧は、膝と足首を柔らかく使っていくので、重さ・痛さを感じさせないのが特徴です。

私が生徒さんに目指して頂いている足圧は『気持ちいい』だけでなく『痛い』足圧でもありません。
痛い足圧は論外。
気持ちいい足圧ももちろんいいのですが、『気持ちいい』と『痛い』の微妙な交じり合う『痛気持ちいい』足圧を目指していただいております。

この『痛気持ちいい』感覚は強弱の中で、ホンの少ししかありません。

この『痛気持ちいい』谷川流足圧が出来る足圧師を育てております。

筋肉は殿部、腰部など部位によって何層にもなっている場所が幾つかあります。
その何層にもなっている部位こそ、私の目指させている『痛気持ちいい』足圧が非常に効果的です。

更に頸部(首)など、筋肉が何層にもなっていながらも、敏感な場所は痛い足圧はご法度で、重く感じさせる足圧は論外です。
足の指先を使い頭蓋骨のキワを重さを一切感じさせず深部めがけて効く強さに押し込みます。

この足圧が出来ればお客様は、肩首がすっと楽になり、目がカッと開きます。
そして生命力さえ上がった気持ちになります。

ここまでの自信の裏づけには、もの凄い時間がかかりましたが、数々の学びがありました。

谷川流足圧はまだまだ進行中です。
技術に終点はありません。
死ぬ瞬間まで足圧を普及していきたいと思います。

お弟子さん作りの旅はまだまだ続きます。
何が成功か?の答えはまだまだ先にありますがこれからも体力が続く限り突っ走ります。

将来の目標としまして、私が直接授業を担当しなくても指導者である先生達が授業を行って頂けるような体制作りを各都道府県に作ります。

私の出番は最終テストのみの出番。

実際にそれが可能になった都道府県は現段階で、ここ札幌を筆頭に、栃木県、埼玉県、神奈川県、千葉県、長野県、山梨県、富山県、愛知県、三重県、岐阜県、京都府、大阪府、兵庫県、山口県、福岡県、熊本県、佐賀県、鹿児島県です。

行かなければならない都道府県は沢山あります。
まだまだ突っ走らなければなりません。

確実な技術者を今後とも育成していきたいと思います。

これで私の話は終わります。
長文お読みいただき、ありがとうございました。

The following two tabs change content below.
谷川 仁
足圧を始めて今年で27年目になります。北は北海道から南は奄美大島まで600名の生徒さんが卒業し、谷川流足圧を日本に普及させています。 足圧を学びたい方へ